昨夜放送された、
京都地検の女・最終回……
冤罪(えんざい)が確定した人が、最初に起訴を決めた検事と対面したシーンで。
「私は、あなた方に 言い訳も謝罪もするつもりもありません。」
と言い切る検事に対し、
「貴女に 謝られたらどうしようかと思ってた。 …貴女に 謝られたらどうしようかと思ってた。
貴女 言いましたよね? 『 私達は間違っていなかった。』
間違ってもらっては困る。間違いを認めてもらっては困る。」と、
冤罪を受けた本人が言う…。
それを聞いて、思い切り大きく頷(うなづ)いてしまいました。
私も、同じ思いをした経験があるから。
…といって、逮捕されたわけでも、冤罪を受けたわけでもないのだけど。
1976年に、新しい県立高校が地元に開校し、私はなんとかその学校に入学。
晴れて豊明高等学校の一回生となりました。
豊明高等学校は、当時 かなり気合いが入っていて、
近隣の町の優秀な県立高校からアドバイスをうけるべく、何人かの先生がやってきました。
そして、その学校と同じような指導方針でスタート。
私たちは高校生活において、先輩がいません。
思いっきり一回生。
三年間 最上級生。
当然、先生の目もよく届く。
まぁ、ぶっちゃけ軍隊のような管理をされながら3年間を過ごしたのです。
教科書忘れれば、その授業中の50分間 本当に正座させられたし、
休みの日に電車のホームにいようものなら、それをとがめられ、
タバコの煙でモックモクの職員室で 正座をさせられた上に、
3年の担任には木刀で頭や肩を、コツコツ叩かれました。
掃除のときには、軍隊さながらの、びっくりするような点呼を連日させられたし、
(「報告しますっ。総員8名現在員7名事故欠1っ!!確認しますっ!!番号っ!!」)
林間学校では、フナの素揚げの骨まで食べさせられたり、
茹で玉子の殻を食べさせられたり…。
(どうやら私は その殻を、畳のヘリの隙間に埋め込んだらしい…ことを、
その同窓会の場で、当時のコワーイ教務主任に暴露され 大笑い。
本人、全く覚えていませんでしたが、先生が断言っ!! 恐るべし教師の記憶力!! (笑))
今振り返っても、そこまでされる必要があったんだろうか…と思うことは多々あるんだけど、
30年も過ぎてしまえば、それもまた 話のネタになるようなもので…。
ところが、今から6年ほど前に、入学してからまる30年なんて名目で、
学年全体の同窓会を開きました。
思いの外、沢山の人が集まってくれて、4時間があっという間にすぎる中…。
当時お世話になった先生からコメントを頂くことに。
私たちが高校在学当時の、ほとんどの先生方の年齢を越えた年齢になっている 私たちの前で
お話をして下さるには、色々複雑な思いも おありだったのでしょうが、
何番目かに登場した、我が担任の挨拶を聞いて、少なからず私は 軽いショックを受けました。
なんと、木刀で 私をコツコツした先生が、当時を振り返り、謝罪をされたのです。
「厳しすぎる指導をして申し訳なかった…」と。
その時 正に…ドラマの中の冤罪を受けた人と同じような気持ちに なったのです。
「何で謝るの?」と。
「謝られてしまったら あの頃の私たちは、どうすればいいの?」と。
謝らないで欲しかった。間違いだった…なんて認めないで欲しかった。
先生もまた、苦しかったんだとは思います。
でも、謝って その苦しみから解放されようとするのは、どうなんだろう…
とも思ってしまったのは事実です。
ただ、その後に登場して下さった、私たちと年齢がいちばん近い、当時の新任だった先生の挨拶が、
まるで漫談で、空気をうーんと和ませて下さり、この同窓会を最高に盛り上げて下さったから、
ショックな思いも一瞬で吹き飛びましたけどね…。
市川先生!!ありがとうございましたっ!!!
人生はいろいろ複雑で、見えない部分のしがらみがいっぱい。
でも、親であったり先生であったり…後続の人間を指導すべき立場の人間は、
足元をしっかり固めて、強い意思と自信をもって臨んでいかないといけないんだなぁ…
重い責任のある、大変な仕事だ…
と、改めて思ったのでした。
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同窓生 (土曜日, 08 9月 2012 12:53)
自分もこの同窓会には参加していて、先生方が妙に下手というか神妙になり
当時は悪かったなんていってくれるもんだから、あれ?っと思ったのを思い出しました。
市川先生においては素晴らしいの一言です。それまでの雰囲気が一変して明るい和やかな雰囲気になりましたね。
また、近々にこの様な会があったら是非とも参加したいと思います。
本郷 (土曜日, 08 9月 2012 14:08)
コメントありがとうございます。どなたかなぁ?昨年から同窓会を早く開かねば…と思っているんですけどね。