19『法 話 ②』

「現代は、食べること一つ心配しなくても私たちは 生きていかれますよね?

一昔前には そうはいかなかった。

働き盛りの親を亡くすと言うことは、ホントに身を裂かれるような…

ましてや子供を亡くすなんて、もっと辛かったと思います。

ところが、この頃は 親を亡くし妻を亡くし夫を亡くし子供を亡くしてもね、

あっけらかんとしてですね…それが証拠に、(私が)枕経をあげに行っても

そこに人がおいでやへん。

なにをしておいでるだなぁ…と様子を伺うと 美容院の予約をしとらっせる。」

 

(中略)

 

「皆さんは、何しに生まれてきたのか。

この頃に至っては 定年したら仕事もあーへん。

みなさん、あの会社に行ってるのは 仕事じゃなくって、稼ぎ事っていうんですよ。

仕事と言うのは 働くっていうこと。

目は目の仕事をしとってくれる。

耳は耳の仕事をしとってくれる。

足は足の仕事をしとってくれる。

仕事というのは、物が動くということですよ。

だが、私たちは、意味が唱うまで仕事をしとるんですよ。

私の思いを越えて この身は最後の一役まで仕事をなし終えてくださる。

それが、如来大悲の御徳は、身を粉にしてもおおふれし…と、

親鸞聖人が私たちがなすべき仕事は、受けた御恩に目覚め

お礼を申していくことが仕事なんだと。

 

ある方が、老い逝く先輩に言われたそうです。

「お前な、歳をとったら いよいよ “きょういく” と “きょうよう” が、大事だぞ」

言われた方は、「今さら“教育”と“教養”なんて。もう忘れちゃいましたよ。」

 

“きょういく”とは、教育ではなく、“今日、行く”

“きょうよう”とは、教養ではなく、“今日、用”

 

今日、自分がどこへ行くか…がはっきりわかっている人は幸せ。

今日、自分がなすべき用事…がはっきりわかっている人は幸せ。

 

若いときには中々気付けなかった、受けたご恩は必ず返すということ…。

お礼を申さずにいられない。

「おばあちゃん、長生きしてね」と言われることに「ありがとう」

 

私たち人間がなすべき仕事は、お礼を言うことだ。

もらい上手に あげ上手。頼み上手に断り上手。聞き上手に話し上手…。

 

この頃の人は 自分の思いはさらけ出すけど ちっとも人の話は聞きゃぁせん。

お寺になかなか、説法なんて聞きに来ぉーへん。

 

今日はたまたま、亡き人が皆さんにこの大事な時間をこうして縁を結んでくださった

尊いひとときでございます。

こんなときでも、くだらんこと喋って嫌われても損だで…まぁ、黙って帰る坊主がおる中で

おせっかいするのが私でございます。

いかに人が聞いとらんか…ということを、見ていく…それが私の仕事だと、

一人でも多くの方がうなずいてくださるこの中でたった一人、

このあと気付いてくださり、待っていてくれる家族に「ありがとう」とお礼を言えたら、

よかったと思うのでございます。」

 

 

うーーーん。

なにが仰りたかったのか…わかったような、わからないような…

ベテランのお寺様だから、お話に慣れすぎていらして、きっと20分のお話を

半分の時間で話されたから、ん?ってところもスルーだったのかなぁ。

 

これからも、お寺様の法話はご紹介したいと思っています。

録音して聞きなおしても尚、言葉がはっきりしなかったり 意味がわからなかったり…。

 

わかりやすく心に残るお話を下さる方は…残念ながら、とても少ないのが現状です。

綺麗な文字を書かれるお寺さまと 同じくらいの比率かも…。

あー、生意気言って ごめんなさいっ!!!

でも、本音ですっ!!!